塵芥拾

ぽっと思いついたことを書いています。

新聞記者 その2

前回の続きで「新聞記者」についてです。

 

この映画、加計学園問題をモデルとした事件を軸とした話と言えます。また伊藤詩織さんの事件をモデルとしたものもありました。というのもこの映画の原作者が、これらの事件を追っていた(る)ジャーナリストのようですね。首相は、顔はおろか名前すら登場せず(登場してたらすみません)、実際の事件でしばしば言及された「総理のご意向」の捉えどころのなさがでていましたね。

内閣府(内調)=暴走する権力

新聞記者=暴走と戦う集団

Twitter(一般市民)=与えられる情報に影響を受けやすいもの

といった構造のなかで、主人公二人の戦いが描かれていたように思います。

日本の新聞記者は権力と戦えているのか、どう戦うのかがこの映画の主眼なのでしょうか。予告でも「この国に新聞記者は必要なのか」とあったり、映画内の番組で日本のジャーナリズムについて言及していました。ですが総じて我々一般市民が政治とどう向き合うか、どう情報を扱っていくかといった話に思えました。

 

そんな映画ですが、「報道しない自由」を描いていなかったように感じられ残念でした。原作を読んでいないので何とも言えないのですが、これを描くと映画の構図がぶれるからでしょうか。ですが仮にも「新聞記者」という題で情報について描いている作品が、これを描かないのは厚みに欠けるというか誠実さに欠けます。メディアにも問題があり、それも含めて新聞記者はどうするべきか、我々一般市民はどうするか考えられる映画にしてほしかったですね。

 

 

批判めいたことを書きましたが、映像の演出や役者の演技には見るべき点が多く良い作品だと思いました。