塵芥拾

ぽっと思いついたことを書いています。

「天気の子」

『天気の子』(2019年)

監督:新海誠

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年始にテレビでやっているのを観ました。

興業的には、『君の名は。』には及ばなかったものの評価は高かったみたいですね。

私としては気になる点がありました。それについて少し語れればと思います。

 

 死の匂いについてです。この話、陽菜を救うことを代償として東京が水没したという因果関係で話が終わります。一見重い代償のようですが、水没後の東京の描写はどこか軽いものがあります。レインボーブリッジが沈み、立花冨美も立ち退きを余儀なくされています。しかし誰も死んでいないのです。最後に帆高が警察から逃げるのを援護した圭介も、娘と暮らし綺麗なオフィスで働いています。(警察に目を着けられると娘と暮らすことに支障が出るからと帆高を追い出したのにです。)あまりにも世界が平穏すぎるのです。

 それを考えたとき、もしかしたら帆高が陽菜を助けたことと東京が水没したことは関係がないのかもしれません。その根拠について少し述べていきたいと思います。

 1点目、冨美の話です。帆高が高校を卒業し東京にまたやってきたとき、冨美は東京も江戸時代のころはこれくらい海が陸地まできていたことを語っています。帆高以外の人間はどうやらあくまでも自然現象の一環としてしか捉えていないようです。

 2点目は、帆高が陽菜を救うとき彼はその選択が東京を水没させることになるという代償を意識していないことです。「雨なんてやまなくていい」「いつまでも3人で生活したい」そのような思いで助けています。

 1点目と2点目を鑑みたとき、この物語が帆高の語りで始まることに納得がいきます。東京が水没した世界で帆高が、世界に影響を及ぼしたという誇り、世界から自分の世界(陽菜と自分)を守ったという自負、から物語を構築したと言えないでしょうか。それは冒頭ネカフェで帆高が読んでいた「The Catcher in the Rye」のホールデン・コールフィールドと重なります。ある程度お金に困らない家庭で生まれながらも、社会の欺瞞などに批判的な目を向けつつ、無垢な存在を救いたいと願うホールデン少年に帆高が憧れていたとすれば、世界(大人の世界)に対抗して少女を守ったという物語はまさに「ライ麦畑のつかまえ役」であり、その物語を水没した東京に絡めたのでしょう。

 

陽菜を助けると東京が水没するという流れを帆高は救う瞬間は知らなかったと私は記憶しているのですが、合っているでしょうか,,,,,,。ここが違えば私の解釈は大きく崩れそうですが、、、、、。